***20年振りのGP参戦***

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2002年、もてぎパシフィックGP(この年は鈴鹿ともてぎで2回開催)は、世界中の注目を集めていました

カワサキが20年振りにGP復帰、最高峰のmotoGPクラスにスポット参戦すると言う事が決まっていたからです!

ライダーは柳川明選手
開発期間が短い中、オートポリスで2回、TIで1回の事前テストを終え、サーキットに運び込まれました

予選初日の走行が始まる前、カワサキのピット前は世界中のプレス関係者で溢れていました

当時の最低重量145キロに200馬力オーバーのモンスターばかりが集結するこのクラスをどう戦って行くのか、その船出の日がこのもてぎでした

予選が開始され、平面を多用したステルス戦闘機の様なデザインのカウルに身を包み、暴れるマシンを押さえつけライディングする柳川選手に注目が集まりました

予選18位、更に上位進出を目指しましたが、決勝エンジントラブルによるリタイア、柳川選手は転倒し骨折してしまいました

その後、実戦での開発を継続し続けましたが、惜しくも表彰台の1番高い場所には登れませんでした

その後、2008年まで継続参戦、2009年1月、金融危機による影響を受け、不参戦を決定(ドルナとは2011年までの参戦契約)、再度衝撃が走る事となりました

そして、翌2009年、ハヤテレーシングがこのカワサキ製のマシンを受け継ぎ参戦を発表
ライダーはメランドリ1名

パーツ供給、シーズン中の改良部品も期待出来ない 中、第4戦フランスGP、雨の残る路面でロレンソに次ぐ2位表彰台を獲得!!
世界中の多くのファンを喜ばせてくれました!

シーズン中はハヤテレーシングへの、カワサキとの関係、マシンの改良等の質問は全てシークレット、答えられない、と言う事でした

カーボン製の無塗装のカウルには「疾風」(はやてと読みます)と書かれていました

カワサキmotoGPと言えば、中野選手がもてぎで3位表彰台獲得というのが強く印象に残っています!

また世界の最高峰クラスにカワサキが戻って来る事を期待して待っています