***北のエース***

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最近で言えばホンダのテストライダーの鎌田選手が北海道出身で有名ですが、私にとって北海道と言えば
やはりこの選手です

地元のF3で連戦連勝、鈴鹿にその活動を移し、何もかも手探りの状態からそのセンスと努力によって
先輩の宮崎選手のタイムを超えるようになり、遂にRVFを獲得した苦労人、「武石伸也」選手です

今は無き「ブルーフォックス」で修行を積み、あらゆるライディングを吸収し、独特のライディングスタイルは多くのファンがいました

アルバイトニュース、出光がメインスポンサーとなり、数年に渡り全日本のF1クラスでトップを走り続けていました

白をベースにしたマシン、ツナギは眩しいくらいに輝いていました
コーナーではフルバンクで状態を起こした姿勢のフォームで、ドゥーハン、ノリックの様なフォーム
でした
とにかくかっこよかったです

HRCカワサキ→世界スーパースポーツ選手権→ヨシムラで8耐参戦

と最後の最後までスピードは落ちませんでしたが、スーパースポーツ以降、歯車が噛み合わない状態が
続き、「勝利の女神」に見放されてしまいました

スーパースポーツのシーズン前テストでは表彰台は確実と言われるタイムで走り、自身のライディングも
うまくマシンに合わせたかに見えたのですが、ヨーロッパに渡り歯車が噛み合わず、速さを発揮できませんでした。
武石選手は多くを語らず、チーム、マシンのせいにするのを良しとしない選手でしたので、表に出る事は
ありませんでしたが、全日本でのリザルトとスーパースポーツでのリザルトの間には、大きな開きがあり
ご本人が一番苦悩し、苦しかったと思います

これがメーカーから出場したスーパーバイクであれば結果は正反対だったと思います
モチベーションを維持できない状態が続き、チームを去る事になりました

数年後、ヨシムラから8耐に出場し、望まれていたタイムを出しますが、転倒によりリタイヤとなり、
その後の全日本参戦も消えてしまいました、、、

「レースはクモの糸一本で頂点に繋がっている」
「日本一速い男」星野一義選手が言った言葉ですが、まさにその通りだと感じました
数少ないチャンスを大事に大事に乗り切り、次のステップに繋げる、さらにハードルが上がるが、
様々な障害を乗り越え、モチベーションを維持し、クモの糸が切れない様に手繰り寄せ上へ上って行く、
外的要因により糸が切られる事もあり、頂上に上り詰める事が出来なかった優秀なライダーが数多く
います

後半は苦しんだレース活動でしたが、「anチームブルーフォックス」時代は一番輝いていた選手でした
多くのノービスはVFR400を購入し、「武石伸也」になる事を夢見てサーキットを走っていました

まだまだ年齢的にもお若いので、ぜひ8耐等でその華麗なライディングフォームを再びファンに見せて
頂きたいと思います

☆4メーカーの400cc4サイクルマシン(マシンはスーパーフォア、GSR400、ZRX、XJR)で往年のワークスライダー、ランキングトップ10ライダーによる全日本併催マスターズレースが開催されるといいなと
思っています
各ライダーの個人ブログを一覧にして、ライダー宛に入金口座を用意し、個人、法人からスポンサーを
募集し、参戦費用にあてる(ライダーの移動交通費、宿泊費など)
振り込んだ方にはステッカー、リザルト、Tシャツなどを送付
各スポンサー、グッズ作成会社もリンクで載せる、またリンクで各ライダーのレース後のコメントを動画で配信、
私がもう少し、いや、かなりお金を持っていて余裕があれば会社を立ち上げて交渉するのですが、
しがないサラリーマンですので、考える事しか出来ません、、、残念!!

もちろん当時のカラーリングのヘルメットで参戦、つなぎは最新デザインで広告をする 
また、参戦をきっかけに各パーツメーカーのアドバイザー、インプレションをしてもらい、雑誌の企画するエイプ、KSR、もて耐などにも参戦可能な人には参加してもらう

数々の名勝負を戦い、一時代を牽引して頂いたライダーの皆さんが末永くレース界をサポートしてくれる
機会を作れないか、後輩の相談に乗れないか、「ノウハウ」「情報」は今の時代では貴重な財産です

前に話しましたが、どんな世界でも横のつながりを最大限活用する事で、将来のトップライダーが
頂上まで行き着くか、辿り着けないかの瀬戸際には先人のアドバイス、サポートが必要です

モータースポーツ」ですから、元一流選手のアドバイスはすごく大切だと思います

画像はヘルメットのカラーリングが変わり、ますます速さをました、一番カッコいい時代の武石選手です