***ラベンダーブルー***

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このレース前からその後、約10年もの間、サーキットは人で溢れる状態が続きました
キングの参戦、全日本の花形スターとのペアの情報は強烈に、台風、いや、ハリケーン級で日本を駆け抜けました

スポンサーは異業種のビックネーム「資生堂
関連商品は売れに売れ、バイクに乗って化粧品コーナーに通う男性が押し寄せました

下敷き、ポスター、その他化粧品以外でも様々な商品が発売され、また売れて行きました
下馬評では、幾ら世界チャンピオンでも引退後、レースに出場していないし、大丈夫だろうか?
など色々な憶測が雑誌で取り上げられていました

平選手も当時はスラッとしていて、俳優の様でした
「自分は一等賞が好きです」
うーん、カッコいい!!このコピーにもしびれました!!

ヤマハのスクーター「エクセル」(パソコンの表計算ソフトではありません)のポスター、パンフレット
もかっこよく、高校生だった私はなぜかJOGよりもかっこよく見えました
雑誌に溢れる「TECH21」の広告は、さらにかっこよく、ため息物でした、、、はぁ、、、

実際に生で見てもいないのに、あんなに熱狂的に陶酔できたのはあのチームにだけです
スタートでエンジンが掛からず、押しがけでスタート(これっていいのでしょうか?)、
その後ひらりひらりと交わし、気が付けばトップを独走、ラスト30分でのエンジントラブル、
ゴールライン前で止まった平選手の姿はまさに「ドラマ」でした、、
うーん、何をやっても絵になる選手でした

その後、数々のトップライダーがこのチームを走りましたが、平選手が優勝するのは5年後の
90年まで待たねばなりませんでした

90年の8耐は私もあるチームのリアタイヤ交換担当でお手伝いしており、自分の事で緊張は頂点に
達していましたが、世界GPライダーがいたる所にいる感動は素晴らしい体験でした
モリワキの市販F1マシンVXR750(でしたっけ?うる覚えです、、)の両持ちスイングアームの
タイヤ交換はモリワキワークスで16秒掛かると言われていました
私も毎晩頑張って練習し、18秒までは出来る様になったのですが、失敗しない事だけを考えていました

何とか失敗せずに乗り切れたのですが、大先輩が途中のオイルのクイックチャージ時に、差すのが
ずれてしまい、「ぴゅー」っとオイルがマシンにちらばってしまい、規定量入らず、長いピットストップ
となってしまいました
その時にワークスに混じって10位くらいを走っていたので、「あの失敗がもし自分だったら殺されて
いたな、、、怖っ、、」とビビッていました

このレースで平選手はエディ、ローソンと組み念願の優勝を勝ち取りました
この年のビデオはもちろんお宝として大事に持っています

この年を最後に「TECH21」はサーキットから見れなくなりましたが、あれだけストーリーのある
チームというのも他には無いと思います
ヨシムラ、モリワキも毎年期待しますが、比べ物にならない大きなうねりがこのチームを支えていました

また、世界チャンピオン、GPのトップライダーが大挙して参戦していたこの時代、優勝するという事が
どんなに大変だったか、宇川選手が何度も優勝していますが、私は平選手のこの優勝が一番記憶に
残っています
ガードナー、レイニー、シュワンツ、ローソン、コシンスキー、マギー、サロン、ドゥーハン、、
世界中から灼熱の鈴鹿に集合していました

画像はおなじみ伝説の幕開けの85年のTECH21チームのライダー交代です
さぞかしピットクルーも緊張していたのではないかと思います
今でもこの「ラベンダーブルー」の色を街角で見かけると思い出します

うちの者が資生堂で働いているのですが、TECH21の事を話すと、「何それ??」と言います
資生堂で働く物としての心構えがなっていないと思います、、
「マキアージュ」レーシングチームで参戦しませんかね??
もう21年も前の話ではしょうがないのかも知れませんが、、
ライダーは、、うーん、やっぱりノリックですかね!!