***メカニックとは***

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20才当時、雑用兼掃除係兼パーツ洗浄兼ボード出し兼荷物運びとして、あるチームで全日本250を

1年間転戦させて頂きました。

前にブログで書いておりますが、始めはNSR500を走らせる予定でしたが、RVFに変更、NSR250に変更、

遂に市販RS250へとなって開幕となりました

プライベート全開の真っ白なカウルでしたが、一流のスタッフに囲まれ、非常に勉強になった1年でした

なぜ1年かというと、どうしてもライダーとして走りたかったからです

結果としては全く箸にも棒にも引っかからず私は消えていきましたが、この1年間で学んだ事は今でも

生きています

チーフメカは小原さん(現イトシンさんのメカ)、ライダーは鈴木淳さん(RTKで市販マシンでランキン

グ5位)、オーナーは昔高坂さん(チームコウサカと言って高田孝司さんらがいたチーム)らと鈴鹿

70年代からマルチレーシングという四輪のチームをやっていた方でした。

軽自動車のフォーミラーマシンや初期のFJ等をやっていたとお聞きしました。

すみません、四輪は今でも全くわからなくて。。

当時、「特に名前は無し」のチームでHRCが目を付けたノービスを走らせていた事もある様で、

(いわゆるSP忠男、ミラ関みたいなもの?)三浦昇選手らがいた事もある様でした


とにかく厳しくて、当時ぼやーとしていた私にとって身が引き締まる思いの毎日でした

小原さんには怒鳴られて半泣きしながらバイクを整備していました、、、

小原さんは元々淳さんと埼玉イナレーシングで一緒になり、始めはライダー希望らしかったのですが、

淳さんがノービスであまりにも速いので、メカニックに転向したらしいです

その後淳さんがRTKに入った時に一緒に入り、88年からはイトシン選手と組みワークス入り、計算すると

当時なんと23歳!!ひえー天才ですね!!


89年はチームカネモトでWGP500に引っ張られ、エディーのチャンピオン獲得の為寝る時間も削って

整備していたとお聞きしました


そして90年は全日本の淳さんをバックアップ、91年はチームに愛想をつかし、、、

WGPに戻って再びカネモトレーシングでルカのメカニックでチャンプ獲得!!


その後田口選手とカワサキのX-09(でしたっけ?)の開発、エンデュランスで250の開発、

玉田選手のメカ、ブリジストンのモトGPプロジェクト、その他多くのスーパーライダーのメカとして

活躍されています

無骨な方で、口数も少ないのですが、怒ると怖いです、、、口利いて貰えなくなっていました

いつも淳さんに慰められていました、、反省、、


とにかく仕事が速く、必要な工具だけをトレーにまず乗せ、散らかるのを何より嫌っていました

そんな修行もあって、私も整備中は片付けながら作業を進める癖がつきました

カニックって凄い、カッコいいと思い知らされた当時でした


いつもお昼は近くの定食屋さんに一緒に行ってました。

確か当時はトヨタステーションワゴンみたいな車に乗られてました(ミッション)

運転はとても上手でした

一度、ユーノスロードスターの横に乗った時に、スピンターンをされて超ビビリました

レーサーでもいけるんじゃないかと、その時思いました

当時25才の小原さん、めちゃくちゃカッコよかったです!


今でも尊敬しており、イトシン選手を応援しています!!

来年もライバルは多いですが、3連覇して欲しいと思っています!!