***HE IS***

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それはGPライダーを迎えて開催された雨のレースでした
時は1986年、富士スピードウェイ、スーパースプリントIA250CC
名古屋出身の無名のIAライダーはスポンサーもついていない傷だらけの
TZ250でエントリーしていた
ツナギもボロボロ、ヘルメットのシールドの曇りを防ぐ為、鼻から口の上、ヘルメットの
あごの部分にガムテープを貼っていた
関係者は全日本のトップライダーとGPライダーどちらが制するか、それだけを考え、各メーカー
スペシャルマシンを用意し日本人ライダーが勝てる様準備していた
霧が発生するほどのレインコンディションの中レースはスタート、当時地上波で中継されており
数少ないロードレースファンは画面に釘付けで見ていた
数周すると、見慣れない、聞いた事の無いライダーが画面にずっと映っている事に気づく
解説者もボロボロの白いカウルのライダーを健闘中と称え、時期に全日本のトップライダーに
掻き消されてしまうだろうと考えていた
雨脚が強くなる中、レースも終盤を迎え、「あれは誰なんだ?」と関係者もざわめき始める
特にヤマハ関係者は突然現れたダークホースに戸惑いと驚きを隠せず、身元確認、ピットの
確認を急いだ
そんな中、ただ一人別世界を疾走する本人はただ速く走る事、転倒しない事に集中し、全力で
丁寧にコーナーを一つ一つ片付けて行った
チェッカーフラッグが振られ、GPライダーを抑え、トップで戻ってきたのは名も無い無名の
新人ライダー「ウカワR&Mコメット所属 本間利彦」選手であった
新しい星が誕生した瞬間であった
最高の笑顔と少し甲高い声で喜びを語る姿に、新しい時代が到来した事を誰もが思った

当時ヤマハには500CC3連覇を目指し平選手が人気実力共にレース界を牽引していた
250CCにも奥村選手、片山選手をはじめ数多くのトップライダーがおり、ホンダにも小林選手
清水選手、その他常にトップを走る選手は多くいました

レースの世界にたらればは無いと思っています
それが許されるのであれば、誰でも世界チャンピオンになれます
片山敬済選手、原田哲也選手、坂田和人選手、青木ハルチカ選手、加藤大治郎選手、
北川圭一選手アクチャルとしてチャンピオンはこの6人だけです

ランキング2位は何人か居ます、最終戦最終ラップ、最終コーナーまでチャンピオン目前だった
選手もいます
しかし、届きませんでした、、、

たられば、、、もしも転倒が無く、負傷が無ければ、、
「オンマ」選手はどこまで駆け上がっていたでしょうか
TZでNSRを破り、インタビューでヤマハ関係者に「YZRを出して下さい!!」と言い、
その年投入予定の無かったYZRを、あまりの本間選手の速さに出さざるを得なくなった事実が
あります
走るコース走るコースでレコードを塗り替え、ポールポジションは指定席とまで言われ、
2位の選手に1秒、2秒の差をつけ、まさにGPライダーが一人混じっているかの様にレースが
終わっていました
GPにスポット参戦でも、初めて走るコースでいきなりトップ争いをし、世界中にあれは誰だ?
と衝撃が走りました
赤と白のUCCカラーの後方排気TZからYZR250Rへの乗り換えも、水を得た魚の様に更に速さを増し
UCCカラーからグリーンフィールドカラーへそしてヘルメットのデザインもYDSカラーから
オリジナルカラーへと変わっていきました
その後500CCへとステップアップし、非凡な才能を発揮しましたが、私は雨の西日本サーキットを
TZでウイリーしながらバックストレートを楽しそうに全開走行する、若き新星の姿、当時の
このカラーリングのヘルメットが印象に残っています
本間選手と清水選手の筑波でのバトルはまさに2台だけでレースをやっているかの様なギリギリの
バトルでした
当時の人気漫画「バリバリ伝説」の星野アキラ選手のボロボロのTZとストーリーは本間選手を
思い出します、、、
底抜けに明るく同じ年の藤原選手とじゃれている本間選手は確実に何万人ものレースファンを
作り上げ、レースブームを牽引したと思います

名古屋のお店も閉められたと風のうわさで聞きましたが、水谷選手の様に今後のレースの発展の
為に、お力をお貸し頂ければ、、と思っております