***若井伸之 炎の夢***

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久々の更新です

ゴールデンウィークに入りますが、この時期になるといつも同じ事を思い出します

レーシングサプライから世界GP125に参戦、最終戦マレーシアで初表彰台獲得

翌年、雨の鈴鹿で激走、中盤、テック3からジーレンベルグのワークスRGV-Γに乗り250スポット参戦

溢れる才能と社交的なキャラクターが時代のヒーローと期待されていました

93年、ケイユーのサポートによりスズキ本社からRGV-Γを獲得

当時としてはスズキも異例の決断で、いかに将来を期待していたか分かります

プレイイングマネージャーとして、航空券の手配、マシン発送の手配など多岐に渡り

レース以外でも苦戦していました

初戦、鈴鹿においてシケインスリップダウン、その後再スタートし、15位?位で完走

ゴールした時には大きな拍手が起こりました

多くのファンがマシンとのマッチングが取れていない事を心配していましたが、ヨーロッパに

入れば必ず復調してくれるだろうと期待していました

ヨーロッパラウンド、スペインのヘレスサーキット、天候に恵まれ、その年参戦を開始していた

原田選手は好調で、仲の良かった若井選手には焦りもあったのかも知れません

予選中、ピットロードを出ようとし加速した瞬間、横切ろうとした他チームの関係者を

避け転倒、そのまま病院へと移送されました、、

当時私は会社の社員旅行に出かけており、今の様にリアルタイムで予選が分からない為、

「今日はスペインGPの日だ、若井選手、調子上げてくるかな、、」と思っていました

朝の新聞を読んでいると、若井選手の訃報がロイター通信から載っていました

頭が空っぽになり、何がどうなったのか理解出来ませんでした

そんな事があるのか、よりによって若井選手にそんな事があるのか、と思いました

排気量に関わらず乗りこなす才能があり、必ず500まで上がって行く選手だと思っていましたので

本当に悔しかったです、、

全日本時代、当時私のお世話になっていたチームで91年は250に乗る計画がありましたが、

世界を選択されました

私のにとっては平選手、鈴木淳選手と同じ位、大好きなヒーローでした

また、HRC関係者も認めており、全日本では出回っていないBキットに乗せようと計画されていた

様です、、、

本当に本当に大好きだった若井選手、ダイナミックなライディングフォームを今でも思い出します

レプリカヘルメットも大事に持っています

ゴールデンウィークが近づくと、毎年、この頃の事を思い出します