***SUZUKA LIFE***

90年当時、夏の間、毎週鈴鹿サーキットでは花火をあげていました
(今でもやっているのでしょうか?)
当時ヘヤピンの裏のガレージを借りていて、ヘヤピンの塀をよじ登って、ガレージの屋根に上って
きれいな花火を見ていました
何ともほっとする素敵な時間でした

もう時効ですので白状しますが、当時ヘヤピン裏は絶好の観戦スポットで、あらよっとよじ登って
塀の上でレースを見たり、そのまま入っていく輩もいました、、

結構レース観戦雑誌等でヘヤピンは観戦スポットと書いています
コースに近いのですが、スピード感が無いので500ccでも「俺にも乗れるんじゃないか?」と錯覚を起こしてしまいます。
当時は八代選手、宮城選手、徳野選手などがサオ立ちウイリーを見せてくれていました
平選手は本当に何事もなかったかの様に通りすぎていました、、
しかし、私にとっては神様です

ゆっくりレースが見れるのならば(8耐くらいしかありませんが)ヘヤピンからスプーンまでの
柵に張りついて見ていると、「この人ら死ぬで、、」というスピードでかっ飛んで行くのが見えます

あとは1コーナーのブレーキングポイントの柵に張り付いて見ても、「この人ら死ぬで、、」という
スピードを楽しめます
1,2コーナー奥の観客席から見るとスピード感がないです(ライン取りは分かります)
2コーナーから逆バンクまでは一番逆バンク側の山の上が2コーナーからダンロップの上りまで見れて
とってもお得です。逆バンクの横の柵に張り付くと、フルバンクしたマシンが近くを走るので、
ここも「あー、レースを見に来たんだー」というのを味あえます。が、たまにバイクが飛んでくるので
注意が必要です。
ダンロップの上りの横の柵、もしくはその上の山からだと写真がきれいに取れます
ただし結構スピードがでているので素人だとぶれてしまいます。ご注意!!

私はいつも逆バンク前の山で見ていました(ここがお気に入りです)
しかし、今は分かりませんがトイレと自販機が遠く、席を離れると当時はあっという間に取られる
ので、レースを見る時は、段ボールを持って行って敷いていました(賢い!!)

正直言ってグランドスタンドは面白くないです
お金がある人であればスタートの瞬間は独特で空気が張り詰めていますので、見て下さい
スタートも1コーナーの柵に張り付いて(しつこい)見ていると「危ない危ないぶつかる」という
団子状態が見れます

シケインはパッシングポイントなので、スピード感はありませんが、運が良ければ世紀の名勝負が
見れます。(ここの指定席が一番楽しめると思います)

セナとプロストシケイン接触した時は、2コーナーで見ていたので、何があったか分からない
もどかしさがありました

何で生活費1万の貧乏ノービスライダーが天下のF1様を見れるかって?
もちろんどんな世界にも裏口という物はあるものです。教えれませんけど

本当に当時は色々なショップがあり、有名選手も普通に見れました
当時モリワキの種岡選手がデトマソ、パンテーラに乗ってて、爆音立てて走っていました
カッコよかったです

当時の私の愛車は解体屋で買ってきたいすずファーゴでした(もちろんエアコン無し)
あまりに距離を走っているので、ピストンが磨り減って圧縮が無く、暖気が必要でした、、、
寒い冬はバッテリーが上がるので、常に若干下りに止めて、一人で押しがけして乗っていました
(これを話すとうそだろって言われますが本当です)
その後も何台か乗り換えましたが、アジアの田舎の村でも使われない様なボロばかり乗っていました
夏は部屋が暑いので車で寝る事もしばしばありました

なけなしの100円でアパート下の自販機で「もう暑くてだめだ、寝れない、、ジュースが飲みたい」
と思い、もうろうとなりながら何も考えずにボタンを押すとなんと「ホット」なコーヒーが出てきました!!あの時は切なかったです、、、
しょうがないのでぬるい水道の水を飲み、「ホット」は水道の水を溜めて冷まし、
その中に入れて翌日飲みました。あまりおいしくなかったです

交代勤務でバイトしていましたが、お金が無いので休憩中はジュースを飲むか、近くの職場に
入っている時は家に帰って何か食べていました
1ヶ月のほとんどが3パック200円くらいの粉の焼きそばでした(1食1パック)
当時はお腹が空いていたので、おいしくムシャムシャ食べていました

あまりに暑い日はクーラーを持っている悪友の家に押し掛けて泊めてもらっていました
「足を伸ばして風呂に入りたいなー」と思ったらホンダの寮に入りに行っていました
普通に管理人のおっちゃんに「こんばんわ」と言って従業員の振りしてよく行っていました
当時上田選手もGPマンションという10000円のアパートに住んでいましたので、近くのホンダの
寮に入りに行っていました
悪友の中でもツワモノは、別の悪友の会社の寮に住んでいました(事実です)
そいつだけはすごいと感心しました

とにかく当時のノービスライダーはお金を持っていなかったですね
服などは買った記憶がないですから
いつも年中ツナギでした(もしくは上下ホンダの白い作業服でした)

でも毎日が楽しくて楽しくて、バカな話とレースの話とそれぞれの夢を語っていました
当時の私の夢はヨシムラのF1マシンでF1チャンプになる事でした