***伊藤真一 零れ落ちた勝利***

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92年鈴鹿8時間耐久レース、ゴールまで残り15分、トップとの差わずか3秒

トップのビーティーを追い上げでいる走行中に、両手の隙間から零れ落ちた勝利への切符、、、

25歳の伊藤真一、ペアライダーの辻本選手にとって、悲願の日本人ペアによる優勝であったが

勝利の女神は微笑みませんでした、、

折れたハンドルのクラッチレバーを握り、何とかピットに辿り着こうとした伊藤選手でしたが、

スプーンコーナー入り口でマシンは息を止めました

うなだれる伊藤選手の横を多くのライダー達が最後の力を振り絞り通過して行きます

ゴールを託した辻本選手の心境は、、容易に想像できます、、

計算上は優勝でした

また、ヤマハの永井康友選手も最後の最後で鈴鹿の夜の魔物につかまり、転倒してしまいました

何とか修復し、チェッカーを受ける為、藤原選手にライダー交代し、ピットアウト出来ましたが、

永井選手の呆然とした表情には胸を打たれました


今年も8耐が終わり、もうすぐすれば8耐特集号が出ますが、優勝したチームは大々的に取り上げられ

記憶にも記録にも刻まれますが、その裏にあった、様々なドラマはなかなか一般の方には伝わらず

時間と共に忘れられて行きます、、


87年の8耐、残り5分 トップを走るゼッケン45番、ヨシムラの高吉選手の悲劇、ゼッケン21番、

マギー選手の奇跡の逆転勝利、そして平監督の心境、、


前年ミラージュ関東からスーパーノービスとして4時間を制した若者は、翌年ゼッケン93番をつけ

TT-F1にステップアップしていましたが、まさかいきなり8耐でトップを走行するとは、誰もが

想像していませんでした

まさに当時のノービスのレベルの高さが垣間見れます

話は戻りますが、92年の8耐、21歳のビーティーと25歳伊藤選手の最後のバトルは表に出ない、

忘れられている部分ですが、私にとっては、一瞬時間の止まった様な悲しみを覚えたレースでした


その後、伊藤選手は世界に飛び出し、6強時代の終わりを必死にもがきながら走行するのですが、

「未完の大器」が8耐で優勝するまでにはまだ先の事になる、忘れられない一つのレースでした

このレースを持って4勝したガードナーは8耐を卒業しました

「ミスター8耐」の最後の激走も記憶に焼きついています

そしてビーティーは92年の全日本500ccチャンピオンとしてロスマンズホンダに向かい入れられます


当時の8耐の映像を見つけましたので、ぜひご覧下さい

伊藤選手転倒まで⇒http://www.youtube.com/watch?v=E7Lpd16i9uw&mode=related&search=

ビーティーチェッカー⇒http://www.youtube.com/watch?v=25h_OVbbD34&mode=related&search=


87年の8耐について⇒http://www.moto-rpm.com/8hours/1987/07/26-2354.html